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ブランド研究

50嵐(ウーシーラン)とは何者か。台湾で600店を超えても海外に1店もない理由と、日本で飲める「KOI Thé」、中国の「一点点」との本当の関係

台南で家族のフライドチキン屋台の隣に出した、1軒の果汁の屋台。それが台湾で600店を超える「50嵐」になりました。ところが、この名前の店は海外に1店もなく、日本で飲めるのは「KOI Thé」です。中国には「一点点」もあります。どこまでが同じ会社で、どこからが別の事業なのか。創業者が守る台南と、妹や友人が運営する地域代理会社をたどると、3つのブランドの関係が見えてきます。茶葉を共有する関係と、資本や経営の違いを分け、日本の商標の持ち主まで原典から整理しました。日本の飲食店が持ち帰れる考え方も、当社の見方として添えています。

公開日 2026年9月28日

50嵐(ウーシーラン)は、1994年に台湾・台南市の路上の屋台から始まったティースタンドのチェーンで、台湾で600店を超える一方、海外には1店もなく、日本にも店はありません。日本で飲める近い店は創業者の妹が別会社として作ったKOI Théで、中国の一点点は北部代理店が作った別ブランドです。

台南・德興路にある50嵐の創始店。夜の店頭に黄色い看板と楕円のロゴが掲げられている
50嵐 台南・德興店。1994年に屋台を出した創始の地に立つ店(撮影: Mint2005、2024年8月、Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0)。掲載画像はトリミングしています。

50嵐とは。数字で見る現在地

50嵐は、台湾の中で600店を超える規模に育ったティースタンドです。2024年4月には612店あり、2026年9月の報道では622店と集計されています。同じ報道に並ぶ清心福全は930店、茶之魔手は610店、麻古は390店、迷客夏は330店。50嵐はこの集計で台湾2位に位置します。

ただし、その600店余りを動かしているのは、台南本部と南區、中區、北區の運営会社です。以前は桃園、新竹、苗栗を受け持つ会社もあり、2016年に中區へ統合されました。歴史を含めると5社、現在の地域運営は4つです。區は「区」の旧字で、北區(ほくく)は台北を中心とする北部、中區(ちゅうく)は桃園から嘉義までの中部、南區(なんく)は高雄・屏東・台東を指す、50嵐の中の区分です。

50嵐の4つの運営区(台湾の地図) 北區は台北・新北・基隆、中區は桃園から嘉義までと澎湖・金門、台南本部は台南と高雄の岡山・路竹、南區は高雄・屏東・台東。宜蘭と花蓮には店がない。 台北 桃園 台中 嘉義 台南 高雄 屏東 台東 花蓮 宜蘭 澎湖 金門 50嵐の4つの運営区 北區(ほくく) 深耕茶業台北・新北・基隆 中區(ちゅうく) 雅嵐桃園から嘉義まで、澎湖・金門 台南本部 五十嵐企業台南、高雄の岡山・路竹(直営) 南區(なんく) 新嵐高雄・屏東・台東 店がない地域宜蘭・花蓮 旧桃竹苗(桃園・新竹・苗栗)は春嵐が担当し、 2016年に中區へ統合されました。 出所: 50嵐公式サイトの区分と各社の商工登記より作成。区の境界は市・県の境に沿った概略です。
50嵐の4つの運営区。色は運営会社の担当エリアで、境界は概略です。

なかでも大きいのは中區です。2024年には台湾全体の店舗数の44%を占めました。創業者の妹である馬雅芬氏が運営し、桃園から嘉義までを広く担当しています。

意外なのは、生まれ故郷での順位です。2025年に紹介された台南市の集計では、50嵐は28店で11位でした。地元の茶の魔手は209店、紅茶幫は87店あります。台湾全体では大きなチェーンなのに、創業の地ではかなり小さい店数です。

台南は今も創業者が自ら守る地域で、加盟を慎重に扱っています。一方、中區や北區では、創業者から任された代理会社が自分たちのエリアを広げました。

台湾の飲料店市場は、2008年の売上409億台湾ドルから2018年には962億台湾ドルへ広がり、店舗も2万2,000店を超えました。その市場の中で50嵐が積み重ねてきたのは、台南から各地へ茶葉を届け、それぞれの地域で店を運営する仕組みです。

屋台から始まった。創業者と「五十嵐」という名前

始まりは、1994年に台南の德興路に出した小さな果汁の屋台でした。家族が営む雞排、つまりフライドチキンの屋台の隣です。創業者の馬紹維氏は妹と1万台湾ドルを出し合い、木工の仕事をしていた父親が屋台を作りました。家族の食べ物の商売のすぐ横で、飲み物を売り始めたわけです。

馬氏の旧名は馬瑞東氏で、淡江大学では航空宇宙工学を学んでいます。兵役を終えて台南の実家に戻り、飲料の商売へ入りました。

開業から1年ほどで、果汁から泡沫紅茶を中心とする店へ変わります。1996年には建物の軒下にあたる騎樓に店を構え、1997年に新孝路の新孝店を開きました。ここが第1号の標準店です。

では、なぜ日本の名字のような名前なのでしょうか。台南のローカルメディアの記述では、手元の日本の雑誌で「五十嵐」という姓を見て、響きが良く覚えやすいと思ったから、と伝えられています。公式サイトには由来の説明がありません。

屋台から店へ移っても、商品の中心はお茶でした。紅茶、緑茶、青茶、烏龍茶という4つの基本茶の配合を創業者が作り、台湾各地で使う茶葉は台南本部から一括して供給しています。看板だけを各地へ広げるのと違い、一杯の土台になる原料が台南を通る形です。

2024年に紹介されたメニューは約40品目で、同業より10〜20品ほど少ない構成でした。仕入先のテストには1年をかけます。

50嵐は1つの会社ではない。5つの法人による「地域代理制」

50嵐は、台南本部と地域ごとの代理会社が、それぞれ店を運営する仕組みです。旧桃竹苗の会社まで含めると5社が関わり、2016年の統合後は4つの地域運営になっています。代理を任されたのは創業者の妹、兵役の同期、大学の同級生でした。会社は商工登記でも別々の法人です。

地域運営会社代表創業者との関係発足年担当エリア
台南・総本部五十嵐企業馬紹維本人1994年台南、高雄の岡山・路竹。本部が直接運営
南區新嵐郭宗峯兵役の同期2000年高雄・屏東・台東
中區雅嵐馬雅芬妹2002年桃園から嘉義まで、澎湖・金門。2016年に桃竹苗を統合
旧・桃竹苗春嵐創業者の四妹妹2005年桃園・新竹・苗栗。2016年に中區へ統合
北區深耕茶業樓更深大学の同級生2003年台北・新北・基隆

表の発足年は、その地域で店を始めた年です(会社の設立登記の年とは別です)。

中區を担った馬雅芬氏は、店の標準化を考える際にマクドナルド創業者レイ・クロックの著書を読みました。評判の店を核に、周囲へ時計回りに広げる「螺旋式展店法」も取り入れています。

地域が変わると価格も変わります。珍珠奶茶は、2026年のメニュー情報では北區がMサイズ50台湾ドル、Lサイズ60台湾ドル。中南部ではMサイズ40台湾ドル、Lサイズ55台湾ドルです。値上げの時期も、北區は2024年1月に5〜10台湾ドル、南區は同年6月に純茶を据え置き、それ以外を5台湾ドル上げました。

メニューにも地域差があります。四季春に小粒と大粒のタピオカ、ナタデココを入れた「1號」は北區から広がった商品です。台南では扱っていません。創業者は原料管理をできるだけ単純に保つことを望み、2011年の可塑剤事件を機に、台南ではナタデココやプリンなどの加料を採用していないためです。

中區では45台湾ドル以上の飲み物に、波霸、珍珠、燕麦、椰果から1種類を無料で加えられます。これも中區だけの扱いです。

無料配料には波霸、珍珠、燕麦、椰果が挙げられています。中區で見た条件を北區や台南にもそのまま当てはめず、地域を付けて読むことが大切です。旅行先でメニューの違いに出会う背景には、この運営区分があります。

当社の見方

私たちは、この地域差を、代理会社が自分の地域の原価や客層に合わせて店を動かす余地と見ています。本部が茶葉を握り、地域側が価格や一部の商品を決める。本部に集める仕事と、現場に任せる仕事を分けた形です。

台湾全体を同じ売価や同じ具材にそろえるより、お茶の土台を共通にすることを優先してきた会社だと私たちは見ています。

なぜ600店を超えても海外に出ないのか。理由は2つの層

理由は2つあります。創業者が台湾での仕事を選んできたことと、中国で名前を使おうとしたときに起きた商標の問題です。

鏡週刊の2018年のインタビューで、妹の馬雅芬氏は、兄が50嵐を作ったこと、非常に控えめで名前が表に出たため改名までしたことを話しています。さらに、飛行機が怖く、海外市場への関心が薄いとも語りました。

その姿勢は、台南での仕事にも表れます。創業者は加盟を安易に開放せず、自ら台南の市場を守りながら、ほかの地域で使う原料の品質管理を担ってきました。台湾の店を支える仕事を本部に残し、各地の運営は身近な人に任せてきました。

もう一つの層が商標です。2006年、台湾全体へ広がったあとに中国進出を検討すると、「50嵐」の商標は上海の貿易会社に先に登録されていました。買い戻しに向けた交渉が行われる一方、上海の別会社が台湾側の許諾を受けずに50嵐の看板で店を運営した時期もあります。中国の商標は2017年に更新が放棄されました。

2019年8月10日に出た本部の声明は、台湾だけに各区の代理会社を置くこと、海外本部の設置も海外加盟の受け付けも行わないことを示しています。中国大陸や香港などの模倣店との関係を否定し、さらに各区の代理会社が開発した新ブランドや海外投資とも協力関係を持たない、と説明しました。海外方針の文面は、現行の公式サイトにも掲載されています。

声明の背景には、一芳の政治的な表明をめぐる不買騒動がほかの飲料ブランドにも広がったことがありました。ネット上では50嵐と海外ブランドの関係図が作られ、台南本部が自分たちの事業の範囲を示す必要が生じた、という経緯です。

当社の見方

当社は、海外に出ない方針を、管理する範囲を自分で選んだ結果と見ています。守っているのは台南からの茶葉の供給と、店の中で育った人が運営する仕組みです。日本でいえば、地元に根を張る老舗に近い面があります。出店先の数より、自分たちが責任を持てる人と原料を先に置く。その選択は、次の加盟条件にもっと具体的に表れています。

加盟したくてもできない。「社員だけ」の内部加盟

50嵐の加盟は、店の中で働き、訓練と審査を受けた人を対象にしています。商業周刊の2024年の記事では、2004年以降は内部加盟に限り、在籍2年以上で訓練と考核を終えた店長または従業員が申請できると説明されています。同じ記事は幹部候補の研修中の月給を7万台湾ドルと伝え、馬雅芬氏が人の質を重視する姿勢を紹介しています。

中區の2018年の取材記録には、さらに独特な募集の様子が残っています。16年間で募集はわずか3回。加盟の冊子は店のカウンターに10冊だけ置かれ、毎日お茶を買いに来て自分で尋ねた人が知るような入口でした。広く募集の看板を出して、申込数を集めるやり方とは距離があります。

同じ取材では、店長が在籍1年以上の従業員を推薦し、試験に合格すると加盟できる仕組みも紹介されています。2018年の中區の説明で、2024年の「在籍2年以上」とは時点が違います。

初期の加盟金は6万台湾ドルで、その後10万台湾ドルへ、保証金は4万台湾ドルから5万台湾ドルへ変わりました。一方、2002年に台中の1号店を開いた実投資は約60万台湾ドルでした。

馬氏が語る内部人材の利点は、仕事を一から教え直す負担を抑えられることです。すでに店の仕事を知っている人が運営を引き継ぐので、訓練した人の質が店を増やす土台になります。人を採ること、育てること、加盟を認めることが、一本につながっています。

創業者の地元では、2026年7月22日に台南市東區へ約20年ぶりの純新規店が開きました。安南、仁德、新市、新營などには過去に出店して撤退した経緯もあります。

日本で飲める「KOI Thé」は、50嵐の海外部門ではなく妹の別会社

KOI Théは、50嵐創業者の妹・馬雅芬氏が別会社として作ったブランドです。「50嵐の海外ブランド」と書かれることがありますが、実際は妹が自分で経営する会社です。茶葉は台南本部から供給を受け、資本と経営は分かれています。

台南生まれの馬氏はホテルやクルーズ船の仕事を経て、2000年に兄へ台中の代理運営を申し出ました。2002年に台中1号店を開き、中国の50嵐商標の問題を避けて別ブランドを構想します。KOIの年表は2006年を構想、2007年をシンガポール・トアパヨへの初出店と分けています。

名前は自身の小名「Koi」から取っています。ブランドはコーヒー豆に着想して始まり、シンガポールの法人名も「豆咖啡公司」で、ロゴのK・O・Iの文字を90度回すと漢字の「豆」に見える、と言われています。店名は2015年に「KOI Café」から「KOI Thé」(Théはフランス語でお茶)へ変わりました。

2018年には12か国327店で年商45億台湾ドルと報じられ、2024年には586店、2025年末には17か国700店超へ広がっています。海外は直営を基本とし、中国では2023年1月から加盟を開放すると発表しました。

KOIの側は、50嵐とのつながりを前に出しています。一部の店の看板には「源自台灣50嵐(台湾の50嵐から生まれた)」とあり、日本の公式サイトも「台湾No.1のお茶専門店」と「シンガポール発祥」の両方の言い方を使っています。これに対して50嵐本部の2019年の声明は、各区の代理会社が作った新ブランドや海外投資とは協力関係がない、と線を引いています。同じ一族で、茶葉は台南から届く。会社としては別。両者の言い方が食い違うのは、このつながりのどちら側を見ているかの違いです。

深圳のIN City ParkにあるKOI Théの店頭と注文カウンター
KOI Thé 深圳・IN City Parkの店(撮影: ZBMAUE oopAAM、2026年5月、Wikimedia Commons、CC0)。掲載画像はトリミングしています。

日本法人は株式会社KOI CAFE JAPANで、2015年2月設立、資本金4,800万円、代表は馬雅芬氏です。国税庁の法人番号の変更履歴からは、那覇で始まり、2019年に表参道、2020年に代官山、2022年に南青山へ本店を移した経路が追えます。

日本1号店は2015年9月の那覇・国際通り、東京1号店は2018年11月の表参道です。2023年3月には原宿店が開きました。現在は国際通り、沖縄ライカム、広島府中、池袋サンシャインシティアルパ、原宿、なんば、千日前の7店。直近の新店は2024年8月の千日前店で、2026年9月には450〜890円のカルピスシリーズを発売しています。

日本の「KOI CAFE」商標の出願は2014年10月、日本法人設立の4か月前でした。店を開く前に名前を確保した形です。

看板商品は、独自のレシピで作る金色のゴールデンタピオカです。

当社の見方

当社は、2020年に9店だった日本の店が現在7店で続く姿を、直営で出店先を選び直してきた結果と見ています。表参道から、商業施設や沖縄・池袋・難波といった場所へ重心を置く歩みです。

中国の「一点点(1點點)」は、北部の代理店が作った別ブランド

一点点は、50嵐の北區代理である深耕茶業の樓更深氏が、2010年に中国向けに作った別ブランドです。「50嵐が中国で一点点として出店した」と書かれることがありますが、実際は北區の代理を担う人が始めた別の事業です。KOIが中區の馬雅芬氏から生まれたのに対し、一点点の起点は北區にあります。

運営法人は生根餐飲管理(上海)有限公司で、2012年2月に上海1号店を開きました。台湾の50嵐本部とは資金、人員、原料の共有を持たず、KOIとも資本は分かれています。

店の数は、2021年2月に4,000店を超えた時期をピークに、2024年10月中旬の外食データ会社による集計では約2,984店になりました。年間の新規出店も2019年の886店から、2023年には104店へ減速しています。

中国以外では2022年にシンガポール、2023年に米国へ進み、2024年10月には香港で初出店しました。

創業初期の看板には「臺北50嵐關係企業」と書かれていました。中国で50嵐の商標を持つ上海の会社から訴えられましたが、二審では一点点の商標と併記した使い方を、商標法上の使用に当たらないと判断しています。その後、全店の看板からこの関係企業の表記は消えました。

現在の中国公式サイトは、上海で創立したブランドとして説明しています。台湾や50嵐への言及は見られません。

上海・楊浦区中原路の一点点店舗に掲げられた緑色の看板
一点点 上海・楊浦区の店(撮影: Shwangtianyuan、2021年5月、Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0)。掲載画像はトリミングしています。

日本の「50嵐」商標は誰が持っているのか

日本の「50嵐」商標を持つのは、馬雅芬氏が代表を務める星穎国際顧問有限公司です。登録第5211774号で、2008年6月出願、2009年3月登録、2018年10月更新。2029年3月まで存続しています。飲食物の提供を含む第43類で、楕円のロゴは台湾の看板と同じ形です。

権利者は台湾・台中で2018年9月に設立された投資顧問・管理顧問業の会社です。代表の馬氏はKOI創業者であり、50嵐中區の運営者でもあります。2019年10月に現在の権利者へ移転登録されました。2008年の元の出願人は未確認です。

同社は香港でKOIの中国語名「可宜」も登録しているとされます。日本で「50嵐」の名前を飲食店に使う権利は、現在、KOI創業者側の会社が保有しています。

50嵐・KOI・一点点。3つの関係を1枚で

3つを分ける基準は、創業者とのつながり、原料の供給、資本と経営です。各社の公式サイトと商工登記に当たると、50嵐は台湾で地域ごとに運営するブランド、KOIは中區の運営者が作った別会社、一点点は北區の運営者が作った別ブランドと整理できます。KOIには台南から茶葉が届き、会社としての経営はそれぞれ独立しています。

50嵐の地域代理会社とKOI Thé・一点点の関係 台南本部が各地域へ茶葉を供給。旧桃竹苗は2016年に中區へ統合。中區の馬雅芬氏がKOIを、北區の樓更深氏が一点点を創業。KOIは台南から茶葉の供給を受ける。本部と両ブランドの資本・経営は別。 創業者 馬紹維台南本部・1994年 各区へ茶葉を供給 KOIへ茶葉を供給 南區・新嵐郭宗峯2000年 北區・深耕茶業樓更深2003年 旧桃竹苗・春嵐創業者の四妹2005年 中區・雅嵐馬雅芬2002年 2016年に中區へ統合 別ブランドとして創業 別ブランドとして創業 本部とは資本・経営は別 一点点2010年に創業中国 約3,000店(2024年) KOI Thé・2007年に初出店海外700店超(2025年末)日本7店(2026年) 出所: 各社の商工登記・公式サイト・報道より作成
緑の線は茶葉の供給、茶色の線は別ブランドの創業。旧桃竹苗は統合前の運営会社です。
50嵐KOI Thé一点点
誰が作った
馬紹維氏
誰が作った
創業者の妹・馬雅芬氏
誰が作った
北區代理の樓更深氏
どこで生まれた
1994年、台湾・台南
どこで生まれた
2006年に構想、2007年にシンガポールで初出店
どこで生まれた
2010年に中国向けに創業、2012年に上海で初出店
店の持ち方
本部と地域代理会社が運営。内部加盟を採用
店の持ち方
海外は直営が基本。中国は2023年から加盟開放と発表
店の持ち方
生根餐飲管理(上海)が展開
50嵐本部との関係
本部が各地域へ茶葉を一括供給
50嵐本部との関係
茶葉は本部から。資本・経営は別
50嵐本部との関係
資本・経営は別。原料や人員の共有も持たない
日本にあるか
日本の店舗は0店
日本にあるか
東京・大阪・広島・沖縄に7店
日本にあるか
日本の店舗は確認できていません

資料によって表現が揺れる部分も整理しておきます。馬雅芬氏は「大妹」「二妹」と紹介されるため、ここでは創業者の「妹」としています。

KOIの創業年が2006年と2007年で割れるのは、構想と最初の店の違いです。展開国の数が13、15、17と資料で違うのは時点の違いで、この記事では2025年末の公式発表(17か国・700店超)を使っています。

飲食店が持ち帰れること

当社が50嵐から持ち帰れると考えるのは、店を増やす前に、原料と人の仕事を整理する考え方です。600店という規模をそのまま目標に置くより、日々の仕込みや次の店への引き継ぎに使える部分があります。以下は当社の見方です。

扱う品目を絞り、同じ材料を生かす

50嵐のメニューは約40品目で、同業より10〜20品少ない構成です。台南がナタデココやプリンなどの加料を採用せず、原料管理を単純に保つ判断にも、扱うものを絞る姿勢が表れています。

日本の店に置き換えるなら、新商品を足す前に、今ある茶葉や具材で作れる組み合わせを考えます。私たちは、商品名の数と仕込みの数を一緒に確認するのがよいと思います。同じ材料を複数の飲み物で使えれば、新しい1杯を出すときにも、仕込みと在庫管理を整理しやすくなります。

共通にする味の土台を決める

50嵐の茶葉は台南本部から供給され、価格や一部のメニューは地域で変わります。すべてを一律にそろえる範囲と、現場で決められる範囲が分かれています。

当社なら、複数店に広げる前に共通の茶葉と抽出の基準を決め、そのうえで店ごとの客層に合わせる商品を考えます。共通にするものが明確なら、季節の商品を入れるときも、どこまで店長が判断できるかを話しやすくなります。味の土台を共有することが、現場に任せるための準備になります。

店で育った人へ、次の店を任せる

50嵐は在籍期間と訓練、考核を加盟条件にしています。店の仕事を経験した人が運営者になるので、採用から教育、独立までがつながっています。

私たちは、日本の個店なら「のれん分け」に近い発想で使えると考えます。次の店を任せたい人に、調理だけでなく、発注やスタッフへの教え方まで経験してもらう。すでに教えた仕事を開店後にもう一度教える負担を減らすために、独立前の店内で準備する、という順序です。

地域の原価と客層に合わせて値付けする

珍珠奶茶の価格も値上げの時期も、50嵐では地域によって違います。同じ茶葉を使うブランドの中に、地域ごとに決める売価が共存しています。

当社は、都心と郊外に店を持つ場合にも、共通の味を守りながら、原価や客層に合う価格を考える余地があると見ています。まず共通の原料と作業を決め、その後で各店の価格を考える。

私たちなら、次の店を考える段階で「全店で共通にする原料」「任せる人が覚える作業」「店ごとに決める売価」を書き出します。50嵐の地域代理制を小さな店に置き換えると、任せる範囲と守る基準を先に決める、という実務につながるからです。

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50嵐のメニューは何でできているか。業務用で再現するなら

50嵐のメニューは、お茶を土台に、乳や食感のある具材を組み合わせたものとして分解できます。

代表例は、四季春に珍珠、波霸、椰果を合わせた「1號」です。珍珠は小粒、波霸は大粒のタピオカ、椰果はナタデココを指します。同じタピオカでも粒の大きさを分け、さらに別の食感を足しています。

メニューお茶と乳の土台組み合わせる素材
1號四季春の青茶小粒の珍珠、大粒の波霸、ナタデココ
波霸奶茶ミルクティー大粒のタピオカ
紅茶拿鐵紅茶と牛乳なし(茶と乳だけ)
養樂多綠緑茶乳酸菌飲料
冰淇淋紅茶紅茶アイスクリーム
珍珠重焙烏龍拿鐵焙煎した烏龍茶と牛乳小粒のタピオカ
麵茶紅茶拿鐵紅茶と牛乳麵茶(炒った小麦粉の粉)

2025年に売れた珍珠重焙烏龍拿鐵は、茶葉の焙煎とタピオカの組み合わせです。同じ年には中南部の一部店舗で麵茶拿鐵の試売が始まりました。茶葉を変える場合と、麵茶を加える場合があり、基本のお茶を持ちながら商品の幅を作っています。

糖度は正常甜、九分、少糖、半糖、微糖、無糖の6段階、氷や温度も正常冰、少冰、微冰、去冰、常温、熱の6段階から選ぶ形です。

当社が日本の店でこの構成を参考にするなら、まず四季春、焙煎した烏龍茶、紅茶のどれを土台にするかを決めます。その後に、小粒か大粒か、乳を使うか、別の食感を足すかを選ぶと、必要な材料と作業を一緒に整理できます。具材を増やすたびに、仕込みや保管の手間も確認しておくとよいと思います。

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よくある質問

50嵐はどう読みますか?
「ウーシーラン」と読み、中国語ではWǔshí lánと表記します。1994年に台南で始まった店で、名前は日本の姓「五十嵐」に由来すると伝えられています。由来の話は台南のローカルメディアの記述によるものです。
50嵐はどこの国の店ですか?
台湾の店です。1994年に馬紹維氏が台南市の德興路で、家族のフライドチキン屋台の隣に果汁の屋台を出したのが始まりです。1997年に新孝店を開き、その後は地域代理会社を通じて台湾各地に広がりました。
50嵐は日本に店がありますか?
日本に50嵐の店舗はありません。50嵐は台湾だけで展開し、海外の加盟も受け付けていません。日本で飲める近縁のブランドは、創業者の妹・馬雅芬氏が別会社として作ったKOI Théで、東京・大阪・広島・沖縄に7店あります。
KOI Théと50嵐は何が違うのですか?
KOI Théは、50嵐創業者の妹・馬雅芬氏が作った別会社のブランドです。2007年にシンガポールで1号店を開きました。茶葉は台南の50嵐本部から供給を受け、資本と経営は別で、金色のゴールデンタピオカを看板にしています。
一点点(1點點)と50嵐は同じ会社ですか?
別の会社です。一点点は50嵐の北區代理を担う樓更深氏が2010年に中国向けに作り、2012年に上海で1号店を開きました。2024年10月の集計で約3,000店あり、台湾の50嵐本部とは資本や原料、人員を分けています。
50嵐の店舗数はいくつですか?
台湾に600店を超える店舗があります。2024年4月には612店、2026年9月の報道の集計では622店で、清心福全に次ぐ台湾2位です。台南本部と地域代理会社が運営する台湾の店舗数で、KOIや一点点は別に数えます。
参考にした資料(18本。別タブで開きます)

店舗数と価格は本文に示した時点の数字です。売上は報道による推計です。

執筆者 神戸慧士の顔写真
執筆: 神戸 慧士(マルイ物産 データ分析)
数字はすべて公開資料からの引用で、当社の見方は「当社の見方」と明記した部分に限っています。写真はいずれもWikimedia Commonsのクリエイティブ・コモンズ写真(実物の店舗)です。
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